デカダニズム。社会一般的ではない生活

magicたまたま予定が重なってバンド活動をほぼ一日おきに遂行していました。
先週の木曜は渋谷のアートカフェで。
土曜日は大磯のカフェ。
月曜日は市ヶ谷のライブハウス。(写真)
明日はあるパーティーでの演奏依頼が。

大磯でのライブはヨーロッパの田舎風の建物で、とても心暖まる場所でした。居心地がいいので思わず寝袋で1泊。海の近くで周りは畑。自然もいっぱいで、また来たくなる場所です。

このバンド活動絶頂期にあわせ、青森からある客人が上京しており、我が家にも何泊か宿泊してました。
彼はフラメンコギターの名手でもあり、ラーメン屋の店長という顔も持つ。
以前にも上京したときに泊まってもらい、中華料理を振舞ってくれました。
今回もバンド関係者などを呼び寄せて軽く「中華パーティー」を開催することになりました。
料理に使う道具一つにもこだわりを見せる彼は、音楽についてもこだわりを持っています。そしてその生き方をとってみてもある種のこだわりを持っているようでした。
それは別に変な意味ではなく、誰しも何かしら持っている「人生のポリシー」みたいなものです。
彼の持つポリシーは興味深いものがある。


「社会的」という言葉の裏には「退廃的」というのもある。僕の場合は後者に当てはまるのかもしれない。
デカダンスとは退廃的な、投げやりな、という考え方、思想。
風紀が乱れて不健全という意味もありますが、ここでは「他人に理解されなくてもそれでいいや。どうにでもなれ。」といったやや諦めのニュアンスを含んだ意味と捉えたいと思います。
ラーメン屋を青森で営む彼もデカダニズム(退廃主義)を地で行く人間なのかもしれないけど、果たしてそれが今の日本で悪い事になるのか。
数十年前だったらそんな主義を持っていたら変人扱いされて、社会から除外されていたに違いない。
しかし現代の日本は、もう何か、疲れている。
疲れているから自分のやりたいように生きる人が増えている。
別の視点から見ると、だんだん日本社会全体が退廃してきているものとも思えてならないのです。

類は友を呼ぶからかも知れないけど、現にデカダンな人間は僕の周りにたくさんいる。
でも「社会一般」の生活、人生設計をしていない人のほうが自由にのびのび生きているように見える気がするのです。(その反面苦労も多いけど。)

高度経済成長の成果を台無しにするのは僕のような人間なのかもしれないが、別にいいじゃないか。日本がタイとかインドネシアみたいな国になったら面白いなと思う。