旅の思い出~インド・カルカッタでボランティア

881f3562.jpg先日のNHKアーカイブスでマザーテレサの話がやっていました。
インドのカルカッタ(現・コルカタ)でもっとも貧しい人たちに生涯仕えることに専念したマザーテレサと修道女たちのドキュメンタリーでしたが、もはや宗教を超えた救済活動の様子に改めて胸を打たれた気分です。
自分も3年ほど前にインドを旅したのですが、最初に訪れたカルカッタで、そういった「救済活動」のボランティアをしたことがあります。
マザーテレサの設立した「死を待つ人の家」では路上で誰にも相手にされず、ただ死を待つだけとなった人を救い、衣服や食事や寝る場所など、人間として最低限与えられるべき生活環境を提供し、病気やケガの看病などが日々行われていました。
「不幸なのは病気やケガを負うことではなく、そのことによって誰にも相手にされなくなることだ。」
と故マザーテレサは言っていたましが、それに基づいて貧しい人たちに献身的に奉仕するのは、並大抵のことではない。
それは宗教の力なのかもしれませんが、よほどの信念がない限り到底出来うることではないでしょう。


僕は施設に収容された人たちの衣服を洗濯する係りになったけど、それはもう大変でした。
洗濯機などあるわけではなく、洗剤を浸した水槽にジャブジャブつけて、水で洗い流し、手で搾っていくという作業を延々繰り返しました。中にはウンコがくっついているものもあり、それらを仕分ける作業にも従事しました。
夏の暑い時期だったにも関わらずエアコンなどはない。
当然だがボランティアなので報酬も無し。それでも、くさい、汚い、暑いなど言ってられない。
ただ黙々と仕事をこなさなければならなかった。
僕やその他の旅行者たちも「軽い気持ちで」ボランティアに挑戦しましたが、なかなかハードでした。
外国人旅行者の中には腰を据えて長くボランティアに従事する人もいましたが、いやな顔一つせず次々に「新参者」へ指示を出したりしていました。むしろ彼らは喜びに満ちているような感じさえしました。

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生半可な気持ちでやるのはよくないな、と思いつつも、すこしでも人手がほしい施設側としては、旅行者のボランティア参加を常に歓迎しているようです。

別の日に今度はストリートチルドレンを収容する施設に赴きました。
街中にあふれる身寄りのない子供たちを集めて、食事をさせたり遊び相手になってあげたり、勉強を教えてあげたり、本来子供がしなくてはいけない「仕事」を提供する場です。
ストリートチルドレンといっても、やはり子供は子供。遊びに対するパワーがありあまっています。
服はぼろぼろで中には病気を持った子もいましたが、みんなお構いなくなついてきます。
最初は抵抗あったけど、慣れてくると誰彼構わず肩車してあげたり追いかけっこしたり、結構体力を使ったが楽しいひと時でした。
食事の時間になると子供たちを一列に並ばせて一人ずつ皿にカレーを盛っていきます。
一見粗末な食事ですが、おいしそうにほおばる子供たちの姿を見て感慨深くなってしまったのを覚えいています。
夕方になると子供たちは元のストリートへ帰っていきます。

こうして毎日同じように「奉仕活動」は繰り返されていきますが、そこには終わりがないように思えました。
インドという全てが入り混じったような国では未だに貧富の差が激しく、ただただ貧しいものだけが時代から取り残されていっています。これはインドに限ったことではないですが、様々なNPO活動家、医師、宗教家などが状況改善のために日夜がんばっているのを考えると、数日でもカルカッタでのボランティア活動に参加できたことは、自分にとっても価値があることだと思いました。