大阪・兵庫へ。阪神淡路大震災の被災者の話

2017年12月6日

f1db227f.jpgバンドの演奏で大阪に行って来ました。
十三(じゅうそう)というところに宿をとり、ライブは福島というところにあるスタジオで行われました。
関西ではエスカレータで、左側ではなく右側に立つなどの違いがありますが、基本的におなじ日本だよなと思いました。
しかし梅田などの中心地どことなく活気があり、なにかアジアっぽさも感じられました。
ここで言うアジアっぽさというのはつまり発展途上国のような活況という意味。それは「混沌」でもあり「人々のるつぼ」的な意味合いです。
なんとなくゴチャゴチャしているんだが人々のエネルギーが感じられます。
関東でも夜の渋谷や新宿の歌舞伎町あたりはそういう雰囲気が感じられるのですが、大阪はまた違った雰囲気があるように思えました。


ところで1泊して2日目に兵庫県の芦屋まで足を伸ばしました。
そこは言わずと知れた阪神淡路大震災の被災地でもあります。
芦屋は関東で言うと白金や田園調布などの、いわゆる「おしゃれな」「お金持ちの」町という感じ。
今でこそ落ち着いたたたずまいが復元されたものの、震災当時は街全体がほとんど壊滅状態だったらしい。

あるおしゃれなカフェで少し演奏をしたあと、みんなでランチをとったりしました。
今回のライブでお世話になった女性もこの芦屋に住む人なのですが、震災の時に親戚を何人か亡くしたらしい。
その当時の話を少し聞いた。

——
朝、大きな揺れで目を覚まし、同時にタンスが倒れてきた。
タンスの上に乗っかっていたスピーカーも頭上に降ってきたが、つないであったコードが命綱となり九死に一生を得た。
しかし近くに住んでいた親戚の家は地すべり(?)で崩壊し、跡形もなくなっていた。そこで何人かの命も失われた。
家が傾き、街も焼け落ち、電話も通じず、交通手段も全てマヒ。
頼りは自分の足だけだ。
近くの学校の体育館は「死体安置所」になっていた。
あまりに多くの死体を目の当たりにして、ショックを通り越して、感覚が麻痺してしまうくらいだ。
皮肉なのは、数日前の成人式の時に使われた女性の羽織が、死体を覆うカバーとして使われていたことだ。
——

・・・自分自身、実際に被災者の声を聞いたのは初めてだったのですが、当時の状況が生々しく浮かび上がってきて、聞いているだけで恐ろしくなってきました。
それもまだ10年前くらいの話。
自然の災害はどうしても免れないのが現実ですが、いざというときの心構えというのも大切だな、と感じました。

最後の彼女の言葉が印象的でした。
「あの時までなんとなく生きてきたけど、考え方が変わった。人間いつ死ぬか分からないから、自分のやりたいことをちゃんとやっておいたほうがいい。」

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