2004年オリンピック開催を目論んでいた頃のリオ・デ・ジャネイロを訪れた時の話

2016年のオリンピック開催地がブラジルのリオ・デ・ジャネイロに決まりましたね。
東京が落選したのは残念でもあるけど、第三者的に見てリオで開催されたら面白いことになるんじゃないかと期待してたので、結果的にはうれしい展開となりました。


かれこれ十数年前に南米を一人で旅してた時、お隣パラグアイからイグアスの滝を通ってブラジルに入国し、首都サンパウロを経由してリオにたどり着きました。
その時ちょうど2004年のオリンピック候補地としてリオの町も名乗りを上げていました。街中、その招致活動というか、盛り上げ運動というか、早い話カーニバルのような賑やかさに溢れていました。
コパカバーナの海岸沿いはとにかくすごい。サンバ隊があちこちで演奏を繰り広げ、歌って踊って飲んで騒いでのお祭り騒ぎ。
最初はオリンピックのためのお祭りと知らず、「なんだこの街は!?やたらと楽しいぞ!!」と気分が良くなってきました。
やがて「Olimpico 2004」とかプリントされたTシャツが配られているのを見て、「あ~なるほど」と思ったけど、実際歩いているだけですごくハイテンションになれるので、一発でこの街が気に入ってしまったのを思い出します。
コパカバーナの海岸で地元の少年と仲良くなり、海水浴を一通り楽しんでから海辺の道をイパネマの方へと進む。ボサノバの名曲「イパネマの娘」の舞台となったカフェを冷やかしてから近くのレストランでフェイジョアーダを食べつつピニャコラーダをグビッといく。BGMはショーロの生演奏。
ポンジアスーカルやコルコバードの丘にも足を運んで、とても楽しいリオの休日を過ごすことが出来ました。


この街ではとても楽しい思い出ばかりでしたが、次に訪れたポルトセグーロという街で悲劇が起きました。
まあ、書くと長くなりそうなのではしょるけど、まあ、あれだ。睡眠薬強盗。
いろんなものを持ってかれたけど、一番悔しかったのがリオで撮った写真をカメラとフィルムごと持ってかれたこと。カメラはやるからフィルムは返してくれーてな感じでした。


睡眠薬って幻覚症状というか記憶喪失みたいな感じになるので、その当時の記憶が断片的にしか思い出せない。
で、日本の実家に日本時間朝4時くらいに電話をして、ロレツの回らない声で「金盗まれたー」みたいな話をした記憶が後で戻ってきました。
その後実家には電話せずに、何週間後かに手紙を出しました。


それがこれ↓
ブラジルからの手紙

久々に読み返して笑えた。が、当時これを受け取った親は心配しただろうなー。


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またいつか行ってみたいなーと思いながら10年以上経過してしまったけど、うん、やはりまた行ってみたいな、ブラジル。というか南米!!


行くか!