辛苦の歴史と対峙する場所。トゥールスレン虐殺博物館
シェムリアップからプノンペンに戻って先日も泊った中華系の宿にチェックイン。
すると何やら赤い服装をした人々が。
冗談で「タイの赤シャツ隊じゃね?」と言ってたら、どうやら本物の赤シャツのみなさんのようでした。タイ語の文字や最近首相になったインラックさんのイラスト、タクシン元首相のバッチなどをつけていて判明しました。
その人数が半端ない。このホテルだけじゃなくて街中でもあちこちで見られました。慰安旅行なのか、カンボジアも赤シャツに染めるつもりなのか、意図は不明。
それはさておき、翌日は一日時間があったので行っておきたい場所がありました。
S21(トゥールスレン)虐殺博物館。
カンボジアの負の遺産とも言うべき、1970年代後半のポルポト政権時代の政治犯収容所、現在は博物館として当時の様子がそのまま残されています。
以前にカンボジアに訪れた時もこの博物館に訪れたんですが、最近「キリングフィールド」という映画を見直したり虐殺に関する書籍や当時のルポタージュなども幾つか読み、予備知識を頭に入れた上で再訪することにしました。
博物館に行く前に大量虐殺の現場となった「キリングフィールド」に足を運びます。
収容所から理由もなく連れてこられた無数の囚人たちが目隠しをされて惨殺された現場。
今では慰霊碑が建てられ、ここで見つかった遺体の頭蓋骨などが展示されています。
このような穴があちこち掘られ、その中に大量の死体が放置されていたといいます。
車で移動してトゥールスレン博物館へ。
この場所で実際に拷問や処刑などが行われていました。
当時のむごたらしい遺体の写真も展示されています。
収容者たちは足枷をされてせまく暗い部屋にすし詰め状態で収容されていました。
昔は学校として使われていたこの建物も悲惨な拷問部屋になり変ってしまった。
敷地内に幾つか建物があり、それぞれ写真展示室などとして一般の人や外国人旅行者に公開されています。
収容者の写真やクメール・ルージュ(当時の支配層:拷問や処刑を行う側)の人々の生々しい顔写真がずらり。
建物の外側。細かい規制もなく割と自由に歩き回れます。
こちらの建物は鉄条網が当時のまま残されています。これでは逃げることは不可能。
こちらは独房がそのまま残されています。
部屋の中にブロックを組み上げ、人一人が入れるくらいの狭いスペースで区切られています。
別の建物の独房部屋。どす黒い木で作られた扉がものすごく重苦しい雰囲気を醸し出しています。
動画も撮ってみた。
最後にクメール・ルージュだった人々の証言が幾つも展示された部屋があり、当時の顔写真と現在の生活ぶりを示す写真、そして当時はどういう心境だったのかというコメントを見ることができました。
それによると、ニュアンスは異なるけど「本当はそんなことはしたくなかった。しかし逆らうと上官から罰を受けるのがつらかったので命令には従った」というような証言が多かったように思えます。
今では農民や普通の商店などで働く一般人なのに、当時は人の心も鬼に変えてしまう恐怖政治体制が敷かれていた様子が分かります。
今では平和が訪れたカンボジア。まだまだ貧困の問題などたくさんあるけど、過去の悲しい歴史を振り返りつつ今後の発展につながっていくことを期待したいです。
参考
ウィキペディア「S21 (トゥール・スレン)」
映画「キリングフィールド」
ディスカッション
コメント一覧
部屋の中に物が無いのが逆に想像が膨らんでしまって生々しい。壁に書かれた番号は何に使われていたんだろう。恐るべきはここで行われていたのと同様のことが今も世界のどこかで行われている、ということですな。
壁の番号は収容者の寝床を表す数字だと思うけど、実際はその数字より多くの人たちがギュウギュウ詰めに収容されていたみたい。北の某国ではいまだに同じようなことが行われているみたいだな。ぞっとするよ。