言葉の由来を紐解くと心がなぜかあたたまる。日本語の味わい深さを知る一冊

テレビはほとんど見ないのですが、ここ数年楽しみにしている番組が一つだけあります。
プレバト」っていう芸能人が競い合う系の番組。
これの俳句のところだけがとても好きなんです。(他のコーナーは見ない。)
正直芸能人の誰が出てるとかはまったく興味ないのですが、出演者が提出した俳句に対する夏井先生の劇的添削が、もうなんというか心にグッと来るというか、たまらんのです。

例えば2/22の放送で出演していた鳥越俊太郎さんの詠んだ句。

「五歳児の 頬の産毛や 風光る」

五歳の孫を預かっていた時に春の風がふっと吹いて頰の産毛が光るように見えたことから生まれた句。
見事「才能アリ」、この日の1位を獲得しました。
情景が思い浮かぶし、いい句だなあぁと感動していたところ、ここで夏井先生の劇的添削。
「五歳児」というところがわざとらしくて惜しいということで・・・

「頬に風光る 五歳の産毛かな」

どうですか、コレ!?
まさに劇的なビフォーアフターだと思いませんか。
日本人ならこの微妙な語順の違いやニュアンスの差が感じ取れると思います。

日本人が昔から持っている「わび・さび」の心。風流を重んじる感受性の豊かさは他の言語にはない感覚だと思います。
それ以前に日本語ってとても豊かな表現のできる言語だなーと常々感じております。

で、本題ですが、最近こういう本を買いまして。

普段何気なく使っている日本語ですが、その由来を紐解いて行くと、なんとも言えない味わい深さを感じることがあります。

いくつかランダムにピックアップしてみます。

道(みち)
もともとは「ち」という言葉だったようです。
今みたいにアスファルトで半永久的に残る道などなく、道はすべて人の手によって作られたものでした。踏み固めても風雨にさらされて無くなってしまう恐れもありました。
だから安全に目的地へと通じる道を完成させて維持して行くことが昔の人たちにとっては大きな喜びでした。
「ち」は大事でありがたいもの。
「みこころ」とか「みこし」とかと同じように「ち」に御の字を加えた「みち」という呼び方が一般的になり現代まで伝わったとのこと。

雨宿り(あまやどり)
「宿る」とは旅先での宿泊のこと。昔は車も電車もない、人々の移動手段はほぼ徒歩。なので雨が降ったら旅籠(旅館・民宿)に泊まって、降り止むまで何日ものんびりしていたとか。
旅人はそこで出会った人と情報交換をして、時には旅人どうし友情、愛情を育んだのでしょう。
今では雨宿りというと数分、せいぜい1時間未満くらいの話。
電話もスマホもメールもSNSもない時代は誰にも急かされることなく、雨が止むまでゆったり体と心を休ませたって考えると、なんてすてきな時代なんだろうって思いませんか?

すぐ
焦ってる時に「すぐ行きます」「すぐやります」と言うと「あと何分で来れるの?」「何日までにやれるの?」という質問を浴びせかけられることがあります。そんなに煽られても困りますよね。
とかく現代はなんでも時間に換算してものごとを考えがちです。
でも昔の庶民は時間の概念なんて曖昧で、例えば一刻(いっとき)が約2時間、半刻(はんとき)が約1時間、小半刻が約30分で、それ以下の単位はなかったと言います。
今みたいに列車が1分2分遅れたくらいで駅員にお詫びされるなんて、江戸庶民が聞いたら「なんともせわしない世になったもんだ」と苦笑されるに違いありません。
で、「すぐ」っていうのは「真っ直ぐ」「直線」のこと。
「すぐ帰る」っていうのは「寄り道しないでまっすぐ帰る」というニュアンスです。
今みたいに時計なんて概念はなかったから「寄り道して帰る」「まっすぐに帰る」の二種類くらいしか時間を計る方法がなかったのです。
「すぐ帰る」って言われたら早い、「ちょっと寄ってく」と言われたら遅い。それだけです。
今みたいに「何時何分」みたいに細かいこと言う人なんていなかったんでしょうね。なんとも気楽。

日なた
「なた」っていうのは遠くの彼方、あなた、どなたなど、方角や人物の代名詞につけられる接尾語です。
あれ、どれ、と同じように、あなた、どなたと言う風に言いますよね。(こなたやそなたは時代劇でしか聞かないけど。)
しかし「日なた」っていうのは方角でもなければ人物でもない。
日、つまり太陽の光があたる方というのが日なた。
暖房などない昔の人は太陽の暖かさがとても貴重なものと考えていた。そのため、あなた、どなた、日なた、という具合に、太陽の光は特別な位置付けだったのでしょう。


英語でお湯のことは「Hot Water」スペイン語は「Agua Caliente」。中国語は「熱水」(「湯」という文字はあるけど「スープ」という意味です)。
日本語だけ「お湯」という独自の言葉があるのです。「熱い水」って言わないですよね。「お風呂に熱い水張っておいて!」なんて変な日本語です 笑
なんで日本には「湯」という言葉があるのか。それはきっと日本列島にたくさんある「温泉」から来てるのでは。
水を沸かさずとも熱いお湯が大地から湧き出る。現代人と同じように昔の人もお湯に浸かって体を癒すことに特別な感覚を抱いていたのでしょう。「熱い水」なんて陳腐な言葉で片付けられない、ありがたい「湯」。それに御の字をつけて「お湯」。なんていい言葉でしょう。

にせもの
「偽物」って現代風の漢字で書くとなにかいかがわしい雰囲気の言葉に感じられます。
だけどもともとは「似せもの」っていう字をあてていたそうな。
つまり、あるものに「似せたもの」。
真似した、偽装した、っていうんじゃなくて「似せた」っていうと随分表現が柔らかくなりますね。

ゆるす
これも漢字で「許す」って書くと、とても冷たいイメージ。
だけど本来は「ゆるゆるにする」っていう意味。
ピンっと張っていたものをダラーンとゆるめることからこの言葉ができたのだとか。
「絶対許さない!」「断じて許すまじ!」「許可せず!」っていうと張り詰めた冷たさを感じちゃいますが、「ゆるすよ~」「ゆるゆるでいいよ~」っ平仮名で書くとなんだかとっても気楽で暖かい雰囲気に感じるから不思議。
確かに今の世は「許しがたい」ことが多いのかもしれないけど、それが人々を疲れさせる緊張感につながってるのかもしれませんね。多少のことは「ゆるし合う」。それでいいじゃないですか。


他にも様々な日本語の語源がたくさん。
この言葉はもともとこういう意味だったのか!ということが次々分かって目からウロコです。
著者の高橋こうじさんの文章がとても柔らかくて優しいから、というのもあるかもしれませんが、読んでると不思議と心が和みます。

一つの項目がそれほど長くなくどこからでもサクッと読めます。
まだまだ寒い冬の午後、部屋を暖かくしてコーヒーでも飲みながら読むには最適の本ですよ。

そういえば「サクッ」ていう言葉の響きも面白いな。
日本語の言葉の語源、いろいろ調べてみたくなっちゃいます。

というわけで、久しぶりに本の紹介などしてみました(^^)/

読書

追記)
気になって「サクッと」「サクサク」の語源を調べました。
以下のページに見解があります。

この 「サクサク」 が、いったい何を語源、元ネタ として生まれたのかはハッキリしていないようです。 どこかの方言を語源とし、「軽く」「軽快に」 という意味で、その語感がある 「サクっと」 がギャンブルの世界や夜の町の住人、地方を転々とする建設業者や夜遊びの好きな人たちによってどこかの盛り場で使われるようになり、麻雀をきっかけに広まったような印象がありますが、確認できていません。

ギャンブル用語だったのか!?
日本語って本当に面白いですね^^

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