「調整主義」と考えるとテキトーな人生も悪くない

突然ですが僕はつくづく適当な性格だと思うんですよね。

適当(テキトー)っていうとなんかダメなイメージがありますが、本来は「ちょうどいい」という肯定的な言葉。
しかし大雑把で投げやりかつ不誠実なニュアンスが強く、どちらかといえばマイナスイメージな言葉として使われるのはナゼなんでしょう。

人生、もっとテキトーでいいと思うんですが、自分なりの見解を書きたいと思います。


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適当の反対語は全力・真剣

適当の反対語として思いつくのは「全力」「真剣」とかそういう言葉です。
うーん、なんだかピリピリしますね。
なので適当とは全力ではなく真剣ではないということ。

自分の性格に照らし合わせると、確かに全力で真剣に何かに取り組むことってないなーと思うのです。
もちろん本気出してやることもあるけど、どこか力を抜いて心と体が疲れないように調整している自分がいます。

「全力主義」の反対は「調整主義」

闇雲にガツンと体当たりするのではなく、状況を見極めながら程よく力を抜くのが調整主義の特徴です。

適当=調整主義、って考え、深呼吸してみましょう。

完璧に何かをやろうとすると疲れるじゃないですか。
調整しながら脱力して、うまいことすり抜けられればそれでOK。

そう考えるのはいけませんかね。

剣道の稽古。全力師範と適当な弟子

前回の記事でこんな本を紹介したのですが、

この中で「適当」という言葉も扱ってまして、そのたとえ話がわかりやすかったので紹介します。

来客を前に剣道の師範が技を披露するため弟子を指名している場面。
「全力でかかってこい!」という師範に対して弟子は「本気で行ったら先生はますますガンガン打ってくるに違いないし、ひどくやられたら恥をかくし、体が痛くて明日に差し支えるかも」そう考えて8割ぐらいの本気度で立ち向かって行きました。
多くのことに目を配り、総合的に考えてもっとも「ちょうどいい」程度を見極めて師範に挑む。それが本来の意味での「適当」なのです。

▲(原文を大雑把に引用)

心身消耗する全力主義は本末転倒

全力主義の人にしてみれば適当な人は真剣さに欠く不誠実な人間と見られるのかもしれません。
日本人は昔から適当にはせず真剣に全力でものごとに立ち向かうことが美徳と考えられてました。
確かに本気度100%で臨めばそれなりの結果が得られるかもしれません。
戦後復興・経済成長などいい例だと思います。

しかし時代は変わりました。
全力で取り組んだ結果、心身を消耗して体や心を壊し、仕事ができなくなりプライベートもめちゃめちゃになる。
そんなのは本末転倒ですよね。

それなら状況を見極めつつ適度に力を抜いて臨む「適当さ」こそが、今の時代必要なんだと思います。

考えてみると僕の周りには割とテキトーな人が多いです。類は友を呼ぶってやつですかね。
全力主義の人と一緒にいると疲れるし、話も合わないんですよね。だから自然と適当な調整主義の人と仲良くなるのかも。

今回のケセラセラ

テキトーは「調整主義」って考えると悪くないですよ。
今日も、気楽にテキトーにケセラセラと生きましょう。

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