宗教ってなんのためにあるのか

2015年7月31日

そういえば今回の旅で「宗教は?」「神はどこにいると思う?」などという質問を受けたことが何度かありました。

中には「死んだら魂はどこへ行くと思う?」などというディープな質問も。

そんな時は決まって「自分は無宗教だし、神はそれぞれ人の心の中と自然や宇宙の至るところにいる」というように答えていました。



そもそも宗教ってなんのためにあるんだろうか。

毎日欠かさず教会に出かけ、日曜のミサには必ず出席し、一日の半分はお祈りを捧げているという信仰心の厚い人も中にはいるかと思う。

だけど神様にお願いしたからと言って生活が良くなったりお金持ちになったり健康になったりするわけでもなく、結局自分で仕事をして金を稼いで生きていかなければいけない。



宗教上の理由で争いが起きたことも数知れず。

でもそれって結局人間のエゴでしかない。

そんなのは宗教ではなく人間が勝手に生み出した派閥みたいなもんだ。

宗教や偶像化された神に依存しすぎるとろくなことがない、ということは歴史を見れば明らか。

違う宗教が対立していがみあったり、同じ宗教でも微妙に違う宗派どうしの争いとか起こったりするけど、まったくおかしな話だと思うのです。

争っている人たちはいったい何を求めているんだろう。



そんなわけで僕はそもそも宗教という考え方に疑問を抱き、神はどこでもだれでもない、人の心の中や自然の中のあらゆる場所にいるという風に考えることにしています。

極端にいえば家族や周りの友人だって神様だし、見知らぬ人や気に食わない人、悪人だって神様かもしれない。激しい極論ですが。

それと故人やご先祖様を大事にする日本ならではの考え方もしっくり来る。



かと言って宗教という概念を批判しているんではなくて、キリスト教だったら教会、仏教ならお寺、神道なら神社、イスラムならモスク、そういった場所は落ち着いて自分の心を見つめなおすのに必要な場所で、現代の生きづらい世の中でホッと一息入れる癒しスポットとしての存在価値は非常に高いと思います。

要はその癒しスポットに依存しすぎて本来の自分の生活がおざなりになるのは本末転倒ということ。

ニカラグアではそれを強く感じてしまった。

教会をきれいにできるスキルがあるなら、まずは自分たちの住む街をきれいにしようよ。

きれいにすればリフレッシュしていろいろやる気が出てくるよ~と言いたい場面がたくさんあった。

まあ、個人的なひとりごとですが。



ニカラグアのレオンでお世話になったマヌエル夫妻はキリスト教を信仰していますが、依存している風ではなく、むしろ僕の考えに非常に近いものがありました。

家族もみな健康だし幸せそうだし、仕事に対する向上心も自己啓発に対する意識もとても高い。そういう意味でも素敵な人たちだなと思いました。

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