お盆に考える。人生で大切な20のことと死ぬ前にやっておくべき5つのこと

最近は昭和の名優と言われた人たちがどんどんいなくなっていきますよね。
歌手では西城秀樹さん、落語界では桂歌丸さん、女優の朝丘雪路さんが4月に亡くなったと思ったら旦那様の津川雅彦さんも後を追うように逝ってしまいましたね。芸能人の訃報に触れるたび、ちょっと前までテレビとかで見ていたのにもうこの世にいないなんて・・・実感がなかなか湧いてきません。
ましてや自分と縁のある知人や友人、それに血縁のある親族などが亡くなっていくと悲しさや辛さを通り越して、もしかしたらまだどこかにいて、自分のことを見守ってくれているのでは?と考えてしまうのも別におかしなことでもなく自然なことのように思います。
生きてる限り死という感覚を味わうことがないので、死んだらどうなるのかなんて想像もつかない。
だけどたまには生と死について考えるのも悪くない。
遊びや楽しいことを考えるのもいいですが、お盆休みなど、ゆったりとものを考えられる時期に、「死」についてちょっと思い巡らせてみるのもいいかもしれません。
死の体験授業という本を読んだ
偶然最近こういう本を読みました。
著者はホスピスケアに関わってきたお医者さんで、ある時大学の特別講義として学生たちを対象に行った授業について触れています。
その特別授業とは、「人は死ぬときにどのような思いを抱くのか、どんな心理状態になるのか」ということを擬似的に体験しながら「死ぬこと」について考えてもらうという内容です。
普段はなかなか意識を向けることのない「死」という概念をまっすぐ意識することで生を見つめ直す。
そんな内容ですが、これは学生たちだけじゃなくて普段忙しく働いていてなかなか自分や家族のことを省みることができない社会人にも当てはめることができると思いました。
本の中で印象に残った事柄をピックアップしてみます。
擬似的な「死の体験」と人生で何が本当に大切なのかを知るプロセス
自分がもしガンで余命わずかだと宣告され、あと数ヶ月しか生きられないということを想像してみてください。
その上で、以下の事柄について自分に当てはめてやってみてください。
1. 大切なものを20個挙げる
自分にとって大切なものを4つのカテゴリーで5つずつ、合計20個挙げてみてください。
- A. 大切な人5人
例)家族や友人など - B. 大切な物5つ
例)車やパソコン、ゲーム、宝石、ズバリお金とかも - C. 大切な自然環境5つ
例)水や空気、海、山、川など - D. 大切な活動5つ
例)趣味や仕事、好きでやってること、ずっと続けてることなど
ちなみに僕の場合はこんな感じです。
それぞれ順不同、BやCは結構テキトー 笑
- A・・・父、母、兄、弟、妻
- B・・・ギター、MAC、iPhone、車、GoPro
- C・・・新鮮な空気、きれいな海、濁ってない川、美しい森林、広大な平原
- D・・・音楽活動、旅、ブログ、食べる、仕事
2. 死ぬまでに大切なものを一つ・二つと消して行く
胃が重苦しい〜20個挙げたうち大切なものを一つ消す(残り19個)
再検査をすることになる〜二つ消す(残り17個)
不安で眠れなくなる〜二つ消す(残り15個)
家族が呼ばれる〜二つ消す(残り13個)
ガンを告知される〜二つ消す(残り11個)
学校を休学・仕事を休職する〜二つ消す(残り9個)
治療が中止される〜三つ消す(残り6個)
痛みが増してくる〜二つ消す(残り4個)
3. 最後に残ったものは何?
意識が朦朧としてくる〜三つ消す(残り1個)
死ぬ瞬間、最後の一息で残ったものは何でしょう?
それが自分にとってこの世で一番大切なものだったのかもしれません。
いかがでしょうか?
価値観は人それぞれかと思います。最後の方は究極の選択を迫られますよね。
中には「お金」が残った!なんて人もいるかもしれません 笑
でも結局残るのは大切な人だったり自然環境だったりしませんか?
当たり前過ぎて普段はほとんど意識しない存在が、実はもっとも大切なものだっていうことを気づかせてくれる、意義のある試みだと思います。
死ぬ前にやっておっくべき5つのこと
この本の中でもう一つ印象に残ったことがあります。
自分が死ぬ直前までにやっておくべきこととして次の5つを挙げています。
- 「ありがとう」という感謝の言葉
大切な人へ感謝の気持ちを伝えておく。 - 「ごめんなさい」という謝罪の言葉
トラブルやいさかいで自分に非があるのに素直に謝れなかった人へ謝罪を行う。 - 「もういいよ」という許しの言葉
どうしても許せいないこと・許せない人に対して心に引っかかるものがあれば、もう許してあげる。 - 「天国で会おう」と死を超えた絆の言葉
自分が生きてこられたのは自分の努力だけじゃなくて、周囲の人が自分を愛してくれたから、自分が周囲の人を愛したから。
人は一人じゃ生きられないということを噛みしめる。 - 「一緒にいられて幸せだった、これからもお幸せに」という祈りの言葉
自分に関わったすべての人の幸せを祈る。
旅立つ人も残される人も、これら5つのことが最後にできたのなら、後悔することなくその時を迎えられるのではないでしょうか。
何も死ぬ間際じゃなくても、できる時にやっておくとその分心もスッキリするし、その後の人生も楽になるんじゃないかなと思います。
照れ臭くて言えないようなことも、気持ちを変えて行動で表すとかすれば相手にも伝わっていくはず。
死ぬまで「あの時ああしておけば良かった 泣」なんて後悔をしないように、日頃からこの5つの事柄を意識していきたいなと個人的には思いました。
今回のケセラセラ
すでに亡くなってしまった親族、若くして旅立ってしまった知人や友人たちがいます。
「彼らは今ごろどうしてるのかな。」
「あの世で好きなように楽しくやってるんだろうな。」
そんな風に思いを巡らす一方、ヤバイくらいに奇跡的まだこの世に生きている自分という存在が、なんてありがたいことなんだろうってふと思うことがあります。
喧嘩ばっかりしてる人も、蔑みあってる人も、憎らしい相手にも、もし心に引っかかってるものがあるなら思い切って優しくしてみたらどうでしょう?それはそれで気味悪がられるかもしれませんがw 何かが変わるかも。
生きてるうちって死ぬこと以外は意外とどうでもいいことばかり。
執着する心を少しずつ解き放って行くと気が楽になるかもしれませんよ〜〜
死ぬまでにケセラセラとあるがままに生きたいと、気持ちを新たにした平成最後のお盆でした。
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