【インド北東部】ナガランド州コヒーマ町歩き。ガリソン丘の墓地、カテドラル、インパールへの行き方など

バングラデシュからインド北東部に入り、マウリノンで「生きてる橋」チェラプンジで洞窟や滝を見た後にメガラヤ州の州都シロンへ。
シロンからさらに長距離バスでナガランド州のコヒーマ(Kohima)までバスで大移動。実に16時間のバス旅でした。その後、マニプール州のインパールまで乗合バスで移動することになります。

今回はコヒーマの町を歩いた時のこと、インパールへの移動方法などについてまとめてみたいと思います。


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メガラヤ〜ナガランド〜マニプールの移動ルート

インド北東部の移動ルートはだいたいこんな感じ。

  1. (A)ダウキ→(B)マウリノン|車チャーター:1時間半ほど
  2. (B)マウリノン→(C)チェラプンジ→(D)シロン|車チャーター:観光しながら9時間
  3. (D)シロン→(E)コヒーマ|長距離バス:16時間
  4. (E)コヒーマ →(F)インパール|乗合タクシー:5時間

ナガランドってどんなところなんだ?
コヒーマの町を歩いて分かったこととは・・・!?

コヒーマ(Kohima)は山の中にある町。アクセスが悪く道も悪くて砂埃がすごい 

・・・というのが第一印象。

メガラヤ州シロンから北上してアッサム州を横切ってナガランド州へ。
地図で見るとメガラヤ州からコヒーマまで直に結ぶ道がないためわざわざアッサムへ迂回しないといけないんですね。それで16時間もの時間がかかるわけです。
ナガランドに入り、朝コヒーマに近づいたところで目がさめると、そこはかなりの山道でした。
道路は舗装されていないところがところどころあり、道幅も狭かったりしてバスや大型のトラックのドライバーは大変だなーと思いました。

コヒーマまでもう少しのところ

▲夜行バスで朝目覚めて見えた光景。コヒーマまでもう少しのところ。

シロンから乗って来たNET WORK TRAVELSのバスはコヒーマの中心、メインロード沿いの雑然とした場所がバススタンドとなっており、ここで降ろされます。

Kohimaメインロードのバススタンド付近

▲Kohimaメインロードのバススタンド付近。

さっそく宿探しのため町歩き開始。
コヒーマの町はメインロードの周りの斜面にびっしりと家や建物が立ち並び、その様子は昔訪れた南米ボリビアのラパスの町を思い起こさせます。

丘の斜面にへばりつくように立つ建物

▲丘の斜面にへばりつくように立つ建物。

曲がりくねった細い道が斜面を這い回り、地図に載ってないような小さな路地でつながっています。山間の町ならではの様相ですね。
それはさておき、メインロードでさえまともに舗装されておらず砂埃がひどいです。雨季には足元がグチャグチャになるのでは。

コヒーマの街角

▲ちゃんと舗装されてないところが多く砂埃が舞う。

コヒーマの街角

▲のどが弱い人はすぐやられそうな感じ。

コヒーマお散歩MAP

コヒーマには2日間だけ滞在しましたが、泊まった宿、訪れた場所などマップにまとめてみました。

  1. NET WORK TRAVELS バス停
  2. Hotel Holiday
  3. ビューポイント
  4. カテドラル
  5. WIFIサイバーカフェ
  6. ウォー・セメタリー(ガリソン丘の戦没者墓地)
  7. Hotel Orchid Lodge
  8. ナガランド州営バスターミナル

ナガランド、コヒーマの歴史をサラっとおさらい

コヒーマ、そしてナガランドってどんなところなのか、調べてみました。
(旅行中はネット接続できず、ほぼ知識ゼロだったので、改めておさらい。)

かつては部族同士で首を狩る野蛮な風習があった

北東インド、とりわけナガランド州はインドの他の地域とだいぶ異なった印象を受けます。
なぜならこの辺りはもともとモンゴロイド系のナガという部族が住むエリアで、いわゆる「ヒンドゥーなインド」とは文化も風習も違うからです。
顔つきが日本人にも似ていて親近感を覚えますが、かつては部族同士が争って首を狩るという野蛮な風習が残っていたとのこと。
20世紀初頭にイギリスに統治されるようになるとキリスト教の布教が進み、そのような野蛮な風習も廃れていったようです。

インパール作戦の激戦地

コヒーマは第二次世界大戦で日本軍が侵攻した「インパール作戦」で有名な場所。
補給が途絶え餓死者が数多く出た悲劇的な場所でもあります。(これについては後述)

長いこと入域制限があったが今は自由に旅ができる

また、ナガランドは第二次大戦後にインドからの独立運動が盛んになり、インド政府はこの一帯を厳しく規制して、許可のない外国人の入域も長年禁止されていました。
しかし数年前にナガランド独立派とインド政府の和解により治安も回復。今では旅行者が許可なしで自由に旅することができる場所になりました。

旅行する前にこういった知識をちゃんと得ておくべきだったと、ちょっと後悔しました。

コヒーマで泊まった宿。ほとんどWIFIなし

夜行バスで朝コヒーマに到着し、そこから宿探しのため歩き回りましたが、どこも満杯でまいりました。
ネットが相変わらず使えない状況だったので事前に予約できず、人づてに聞きながら歩きました。
そしてようやくたどり着いた宿がこちら。

HOTEL Holiday
HOTEL Holiday

▲斜面に建つホテルなので、客室やレストランが入口から入って階段を下ったところにある。コヒーマはこういう宿が多い。

トイレ・シャワー付きの部屋が1部屋だけ空いてるとのことでチェックインしましたが、トイレのタンクが壊れていて使えず、シャワーもお湯が出ない。
WIFIもありません。しかしスタッフは割と親切でした。

HOTEL Holiday
料金:ダブルルーム1泊1500ルピー
夜ごはん(フィッシュカレー)200ルピー

2泊目はこちら
Orchid Lodge
Orchid Lodge

部屋は清潔でトイレ・シャワー完備。お湯もしっかり出る。
窓からコヒーマの丘の景色が眺められ、ロケーションはなかなか良いです。
何よりこちらのオーナーさんがとても親切で対応が丁寧だったのが好印象でした。
インパールへ出発する朝も、乗合タクシーの乗り場まで連れて行ってくれて、いつ来るか分からないのにずっと一緒に待ってくれたのが心強かったです。

HOTEL Orchid Lodge
料金:1泊900ルピー
夜ごはん(ベジカレー)200ルピー

夜ごはんは宿で食べるのが通例

コヒーマでは夜食べるところを探すのが大変でした。
昼はそこそこお店が空いてるのですが、夜はレストランなども閉まってしまい食べそびれてしまいます。
しかし宿には大抵食事サービスがあって、メニューを選んで部屋まで料理を運んでもらうというのが通例のようです。

コヒーマで泊まった二つの宿で夜ご飯を注文しましたが、とてもおいしかったです。

宿の夜ごはん

▲Hotel Orchid Lodgeで出してもらった夜ご飯。ベジカレー。美味しかった!

唯一WIFIが使えた「サイバーカフェ」

メインロード沿いを歩いていたらふと「CYBER CAFE」という看板を発見。

コヒーマのサイバーカフェ

▲入口にCYBER CAFEの看板。この周辺にたむろしてスマホいじってる人を多く見かけた。

「ワイファイ使わせてくれー」と言いながらスマホを渡したらパスワードを入れてくれて無事にネットアクセスできました。速度もそれほど悪くなく、メールチェクやSNS投稿などは問題なくできたので良かったです。
特に料金は請求されたりしなかったので、コヒーマにいるときはこのサイバーカフェに立ち寄ってネット接続してました。
インドに入ってからしばらくまともにネット接続できてなかったので、まさに砂漠のオアシス状態です。

戦争にまつわる場所を訪れる

第二次世界大戦のときに日本軍がインパール作戦を行うためにコヒーマにも進軍し、この地で激しい戦闘が繰り広げられました。
連合軍の激しい抵抗を受け補給も途絶えてしまった日本軍は無残な敗走。インパールへと続く国道39号線(現在は2号線および29号線)は通称「白骨街道」とも呼ばれ、数え切れないほどの日本兵が行き倒れとなったことで知られています。
コヒーマには戦争の激戦地になったガリソン丘に設置された戦没者墓地、そして近年になって戦没者を慰霊するために建てられた丘の上のカテドラルが主な観光スポットにもなっています。

ガリソン丘の戦没者墓地

コヒーマで最大の激戦地がここガリソン・ヒル(日本の呼称はイヌ高地)。
1944年にイギリス軍、インド軍、そして日本軍がこの丘を巡って凄まじい激戦が繰り広げられました。
平和となった現在、戦没者墓地として多くの人が訪れる場所となっています。

コヒーマ・ガリソン丘戦没者墓地

コヒーマ滞在2日目にこの場所を訪れましたが、戦没者と言ってもお墓があるのは戦勝国のイギリス、そしてインド人のお墓ばかり。
亡くなった人の宗教に合わせてキリストの十字架だったりイスラムのアラビア語だったり、ヒンドゥのサンスクリット語があしらわれていたり。
しかし敗戦国となった日本兵のお墓がまったく見当たりませんでした・・・。

コヒーマ・ガリソン丘戦没者墓地

訪れていた人たちがうららかな丘の上でゆったりと過ごし、セルフィーを撮ったりして和んでいる様子を見て、平和のありがたさを噛み締めた次第です。

コヒーマ・ガリソン丘戦没者墓地

丘の上のカテドラル

コヒーマの町のやや南側、丘の斜面に立つひときわ立派なカトリック教会。
ここは戦争犠牲者の鎮魂のため日英両国の兵士やその親族などからの資金援助で建てられた、いわば平和のモニュメントです。
人間どうしの悲惨な戦いは過去のこと。しかしそのまま忘れ去られることのないよう、コヒーマの町のシンボルとして丘の上に静かに佇んでいます。

コヒーマのカテドラル

▲赤い三角屋根が特徴的。

メインロードから散歩がてら歩いて行くことができ、丘の上からの景色もすばらしいのでオススメのスポットです。

コヒーマのカテドラル入口

▲カテドラルの敷地入口。

敷地内の碑に日本語が掲げてあったので思わず足を止めました。

コヒーマのカテドラル碑文

▲「1944年の春、ここコヒマでは、ガリソン高地の争奪に日英両軍が鎬を削って戦い、彼我合わせて数千の将兵が、祖国の為に死んで逝きました・・・」

日本から遠く離れたこんな場所で日本語を目にするのは不思議な気持ちでした。
しかし「こんな場所」にまで戦いをしに昔の日本人がやってきて、死んで行ったと考えると、とても切なくなります。
今ではこうして自由に旅することができる平和な世の中なのに。

世界中にこんな場所はいっぱいあるんですよね。
いまだに争いの絶えないこの世界・・・。
ほんと、人間って・・・。

コヒーマのカテドラル

丘を見渡しながら静かに黙祷して、町の方へ戻ることにしました。

コヒーマからマニプール州インパールへの行き方

コヒーマの次は南下してマニプール州のインパールを目指したかったのですが、いかんせんネット難民だったので交通手段がまったく分からず。
町をぶらついて人に聞いたら「NSTに行け」と言われました。
NSTとは「Nagaland State Transport」つまりナガランド州立のバスターミナルっていうわけです。
教えてもらったところに行ってみるとこんな場所でした。

コヒーマのナガランド州立バスターミナル

▲時が止まっている・・・

そしてありました!インパール行きのカウンター。
ここでチケットを買えばインパールに行けそうな予感。しかし・・・

コヒーマのナガランド州立バスターミナル

▲男女別になってるところがまた・・・。そして閉まってる。

この日は土曜日。移動しようとした明日は日曜。
ナガランドはあろうことか日曜日は公共交通機関がお休みになってしまうのです。

ナガランド州のバス

▲平日はこのバスでインパールまで行ける模様・・・。

まあ休むのは大事だよ。でもそこはちょっとがんばってほしかったなぁ〜〜

ということでバスは断念して他の手段を考えました。

乗合タクシーという移動手段

2日目に泊まった宿(Orchid Lodge)のオーナーさんがとても親切で、いろいろとインパールへの移動手段を提案してくれました。
タクシーで行くこともできるが、2000〜3000ルピーかかる。それなら乗合タクシーがいいよと教えてくれました。
旅行者どころか地元の人もあんまり使わない交通手段らしく、時間や場所が不明確。
オーナーさんがどこかに連絡を取って確認してもらったところ、日曜日の早朝にコヒーマを通るということが判明しました。他になすすべがなかったので、この謎の交通手段を選ぶことにしました。

そして翌、日曜日の朝6時半。
オーナーさんとスタッフさんがわざわざタクシー乗り場まで一緒に付き添ってくれました。

コヒーマの朝

▲わけも分からず、とりあえず後について行く。

乗り場といってもただの道端。この場所に車がやってくるらしいのだがいつ来るのかよく分からない。
しかし20分くらい待っていたら一台のワゴン車がやって来て「これに乗れ」と言われました。

ワゴン車でコヒーマからインパールまで移動

▲このワゴン車でコヒーマからインパールまで移動。

料金はインパールまで500ルピー。
プライベートタクシーを考えたら安い値段だと思います。

ところがコヒーマからインパールへの道がとんでもない悪路で想像以上に大変な道のりでした。
それについてはまた次回。

LUIS’s TRAVEL VLOG(旅の動画)

インド・ナガランド州コヒーマ町歩き ガリソン丘など

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